もう日が暮れたよ山頭館

気が付けば色々なものを作り自分で適当に満足してきた。これからも隙をみてはモノを作る。これはモノ好きの記録なのだ。

Sakurayama Coffee Roaster プレオープン

半年点検

昨年12月に人間ドックに行ったばかりだが、昨年8月に済生会で2度目の心臓カテーテルを行い、その後の心臓6ケ月点検がやってきた。人間ドックで肺活量を検査するパートの「プーさん」は仕事をやめたようで「ハイ吸って吸って」の掛け声もノリが今一つで、楽しみが一つ減ってしまった。それでも検査の数値は去年より明らかによくなっていた。この調子で、心臓のエコー検査も良好な結果がでればこの後の活動範囲や運動量を増やすことができるのだ。血液を採り心電図の検査を待っていると音を鳴らしながら配達人がやってきた。

「世界に一つの花」を流しながら上手にカーブを曲がってくる。眺めるだけで、ひと時のリラックスになる。配達から帰る時も同じ曲であったが、選曲も難しいだろう。深刻な病状を告げられた時、ベートーベンの「運命」とか流れたら目の前が真っ暗になる。かといって「チャンチキおけさ」の音楽で踊りながらやって来れば、足蹴では済まなくなる。それでは配達場所により、どんな音楽が一番合うだろうか?などと考えていたら、検査の順番がきて機械のあるベッドに案内された。いつも思うが心電図のタコの吸盤みたいなやつをつける時、いつも冷たい。肋骨の下あたりにつける時は「ひゃっ」と声が出てしまう。今回はつけ直しがあったので、2回ほど「ひやっひやっ」と言わされた。なんか温かいウォーマーみたいなものの上にタコの吸盤を置いておくとか工夫が欲しい。

いつもより心電図の時間がかかったが、心エコーも終わり1時間ほどで検査結果がでた。担当の美歌先生より説明があり、数値の結果もよく「だいぶ回復しています」といわれた。一昨年からの縛りが一つが取れたような気分で目の前が明るくなった。

 

植木市にサクラを見に行く

毎年開催されているJAの植木市に雨模様ではあったが久しぶりに出かけた。

新しいお店用にと寒緋桜(カンヒザクラ)を見に行った。カンヒ桜は1月の後半頃に咲き始めるので、一足早い春がみられる。会場は平日の雨模様で人出は少なかった。ここには毎年友達が植木市の手伝いに来ているので、とりあえず元気にしているか様子を見に行った。何年振りかではあったが、劣化した様子もなく、ほぼ見た目変わらなかった。多分楽しく暮らしているのだろう。

会場を一回りして、お目当ての寒緋桜を探すのだが、似たよう品種ばかりで寒緋桜は置いてなかった。以前この会場で「アーモンド」と言われて買ってきた木は、その後すくすくと我が家の庭で育ち大きな「モモ」の実をつけてしまった。なんとかなるだろうと思って買ってはいけないのだ。それにしても商品は、基本持ち帰りだからずいぶんと安く買うことができる。眺めているとついつい買ってしまう。

お目当ての サクラはなかったが、前から気になっていたミツマタの木が売ってあった。以前友人を訪ねた時、庭の片隅に黄色い花が咲き誇っていた。和紙の原料になったりする木であるが、アシナガバチのような花が付き春には黄色い花が咲く。大きなものではなかったが2,000円でお買い求め。ややガニマタになりながら持って帰った。

自家焙煎珈琲豆店プレオープン

ずいぶん前からお店の準備をしてきたが、オープンには時間がかかってしまった。知人友人にはオオカミが出るぞーを言い続けてきたが、オオカミも建物の隙間から覗くだけで一向に姿を見せない。それでも少しずつ準備が整いプレオープンの運びとなった。店は娘の婿さんが経営するもので、嫁は野菜を出荷したりするが、自分はできる範囲のDIYや孫のお守をするくらいで、為にはならない。自宅ではほぼ毎日珈琲を入れているので、腕のほうは上がっていると思われるが、嫁がやめちハイヨというので営業時には、様子をうかがう程度である。将来店の傍らで、薪をくべながらサツマイモやナンをタンドール窯で焼いているかもしれない。

まだ植栽等が間に合っておらず、もうしばらく手がかかる。店名は「Sakurayama Coffee Roaster」で通称「桜山珈琲」である。あれこれしゃれた名前を考えていたのだが、長く愛してもらえるにはと、この店名になった。この近くの地名が桜山で、昔の参勤交代の往還として殿様の往来があった。現在はその北側に新しい道路ができて、桜並木が1Kmほど続く。近くの中学校の卒業式頃には、遠山の金さんもびっくりするような桜吹雪がみられる。そんな桜街道とこの付近の地名から店の名を頂いた。

お店は、珈琲豆の販売がメインで、厳選した生豆を丁寧に選別、焙煎し提供するもので、もちろん店の中で好みの珈琲やちょっとした焼き菓子程度は提供できるものの、カフェ的なメニューは徐々に増やしていくつもりである。

店は金土日の週末だけの営業で、店のPRもインスタや知り合いにちょっとした位で、ぼちぼちとお客様に来店いただいている。看板娘もまだ保育園なのでご挨拶くらいしかできない。それでもたくさんのお花を頂いたり、近所の方々も来店いただいた。

この店舗のもう一つの目的で、取れたての無農薬野菜を販売している。隣の畑や我が家の畑で、私をドレイのように使い、土まみれになり作った嫁の野菜だ。

お試し期間でとりあえず100円で売ってみたが、売れ付きは上々である。

とにかく構想はたくさんあるが、やはり美味しいと思ってもらえる珈琲豆を販売したいのが一番で、ぶれずに「Sakurayama Coffee Roaster」が長く愛されるように頑張っていきたい。

世の中、何かとゆとりがなくなってきているような気がします。好きな音楽を聴きながら珈琲でひと時過ごすのはいかがなものでせう。

グランドオープンは3月15日。木曜日以外毎日営業の予定。

何て事だ!能登半島地震

正月からたまがってしもた

年の始めに「今年一年家族皆が健康で無事に暮らせるように」と無病息災を願い、食べ過ぎたおなかをさすりながら、似たようなテレビ番組を観戦していた。すると、緊急地震速報が流れ、まさかの大地震。瞬く間にテレビは地震のニュースに切り替わり、津波注意が各局連呼された。正月ムードが一変した。状況が少しづつ報道され、能登半島周辺はただならぬ状況である。映像を見て熊本地震がすぐにフラッシュバックした。当時、熊本の震源地は震度7だったが、自分が住んでる地区の震度は6強だった。建物から逃げ出すにもまともに歩けなかった。今度の能登半島地震は、建物崩壊、がけ崩れ、津波や火災と熊本以上の大規模な地震である。とにかく想定外の事が起きているので、なかなか事が進まない。被災者は寒さや不安、恐怖いらだち、想像を絶する大変さだろう。

とにかくその日1日を何とか暮らし、一息つける日まで耐え忍ぶしかない。各方面の支援の行動も早く、現状精一杯やっていると思うので、温かくなるまで耐え忍んでほしい。

 

熊本地震からの復活

毎年1日か2日の日に初詣に出かけるのだが、今年は1月4日と出遅れてしまった。行先はお決まりの阿蘇神社で、熊本地震で全倒壊した楼門が12月に復旧している。地震から7年8か月復旧に要したが、あのぐちゃぐちゃにつぶれていた巨大な楼門が、以前とわからないほど完全に修復されていた。

1日、2日であれば、美味しい甘酒のサービスにあずかれるのだが、4日ともなれば、参拝者も少なく、その分ゆったりとお参りができた。恒例のおみくじは何年振りかの「大吉」がでて何となく気分がよろしい。

阿蘇方面には地震後新しい道路ができたため、神社まで30分の距離となった。このまま帰宅してもいいのだが、お昼近くだったので、昼飯を食べて帰ることになった。

「肥後路」の高菜飯が第一候補に挙がったが、市内から引っ越した「ライオンカレー」が近くにあるので、そこに寄ることにした。

以前から気になっており、一度行ってみたいと思っていた。香味喫茶「ライオンカレー」というだけあって、地元食材を使ったスパイシーカレーが売りである。

入口はさすがににぎわっているが、店内は9席しか座るところがなかった。それでも立派な食券販売機が入口においてある。しかし注文方法がやや複雑で、店の方が一人一人に注文の仕方を説明している。食券販売機を取り外して一つでも席を増やしたほうがいいような気がしてしまう。説明が長く、食券販売機のお釣りを取りそこなうところだったが、何とかライオンカレープレートとラッシーを注文した。

スパイスたっぷりのインドカレーみたいだったが、自分的には星3つでとりあえず一度食べて安心した。それでもラッシーははちみつ入りで値段も安くすごくおいしかった。ラッシーだけなら、リピ有りだ。

 

スズメバチ取ったどー

昨年の10月ころ見つけたスズメバチの巣群も寒さに耐えられず、やっと巣から出入りしなくなった。それから2週間ほど経ったので、もういいでしょうとばかり、巣の捕獲作戦を行った。

場所の目星はついていたので、屋根のトタンを切り剥がすと、直径30cm位の巣が出てきた。蜂は残っていたとしても女王バチ1匹が越冬しているだけで、ほかの蜂さんは巣から飛び出し山の中で?死んでしまう。巣の中は、ほぼもぬけの殻だった。テレビで見るように天井を切り裂き、暴れ狂う蜂たちを掃除機で吸い込まなくても今の時期であれば安全に巣を取ることができる。しかし、古い巣をそのまましておけば必ず翌年に、近くに巣をかける。巣を撤去して入口をふさいでおかなければならない。

干からびた幼虫が何匹か残っていたが、成虫は見なかった。巣の屑はマキタの強力掃除機でグングン吸い込み、侵入していた隙間もふさいで、一件落着した。

 

ネコのレストア

何年も使ってない錆びだらけの一輪車が雨ざらしになっている。地金屋さんが来たとき処分してもらおうと思っていていつも忘れてしまう。他に2台あるので特に使うこともないかもしれないが、捨てるのも可哀そうなので、レストアして塗装することにした。

昔は一輪車の事を「ネコ車」と呼んでいた。以前「ネコば持ってきて」と言われ猫を探したことがある。

部品はいたってシンプルで、フレームとバケット、タイヤの3点しかない。壊れるとすれば、タイヤの空気が抜けるくらいだ。今回の作業は、さび落とし、塗装、ネジ及びタイヤの交換位である。

とにかく錆びだらけなので、フレームとバケットをサンダーや紙やすりでゴシゴシと磨いた。タイヤはホームセンターのハンズマンでノーパンクタイヤを1300円程で買えた。ホイールを外しシルバーに塗装して、アルミホイールもどきとなった。

チューブの代わりに、固めの「ういろう」みたいなものがタイヤの中に入っていて、釘を踏んでもパンクすることはないのだ。

フレームはつや消しのブラックで塗り、バケットはオリーブ色でアメリカ軍仕様とした。

我が家のネコ車3号機なので、サイドにステンシル文字で「NEKOGURUMA  3」を入れて出来上がり。

タイヤが新品になったので、とても快適に使えるようになった。畑においておけばいちいち車で運ぶこともない。しばらく使えるだろう。

 

早期復興を祈る

熊本の災害でもたくさんのボランティアの方たちの応援や自治体、企業などさまざまな支援があった。温かい布団で寝られるようになり、日本に生まれてよかったとつくづく思ったものだ。そんな中でも悪いことをしでかす人間も少なからずいた。今回の能登半島地震もあんな状況で、盗人。詐欺が出てくる。防止の為の防犯カメラを100台設置するらしい。本当に情けない事で日本人として腹立たしい。捕まえたらどんな人間か、顔をぼかさず映して身ぐるみ剥いで極寒の雪の中に放り出す位思い知らせてほしい。本当に腹が立つ。

我が家の庭には3種類の梅があり、今の時期になると蝋梅が満開になる。この後白梅、紅梅が花を咲かせメジロが花の蜜を吸いに来る。そして3月になると桃の花が咲き春の温かさがありがたく思えてくる。被災地では、冷たい雨が雪が容赦なく降っている。せめて温かい日差しが降り注ぎ、災害復旧、復興が少しでもはかどることを願うばかりである。

また一つ年を取る

山本由伸おまえもか

年末になると1年の話題の出来事がお約束のように特集される。大谷さんの活躍も繰り返し繰り返しテレビで放映されるのだが、試合がなくても大谷さんのニュースを見るだけで気分が楽しくなる。いろいろと予想された移籍先もドジャースに決まり、あまりの移籍金の大きさに、なかなか実感として想像できない。

古典落語で「嗅ぎ賃」という話がある。鰻屋の隣に引っ越してきた男が、蒲焼の匂いでご飯を食べる話だが、大谷さんの入団発表インタビューも、何度聞いても価値あるものに聞こえ、これで毎日ご飯2杯位はいけそうである。山本由伸のドジャース移籍にしても大谷のリクルートが大きく影響しているのは間違いない。球界NO1の大谷さんから、理にかなった誘いを受ければ「おっしゃる通りにどうにでもしてください」と言いたくなる。そんなわけで、来年の大リーグ開幕は待ち遠しくて仕方がない。日本人の投打にわたる活躍が毎朝見られる。早くホームランを打って新しい兜をかぶってほしい。

 

今年の暮れは毎日のように貴乃花のCMが流れている。目をくるくるしながら絶妙な言い回しで「ふるナビふるナビふるさと納~税、今なら30%」おかげで知らず知らず口ずさんでしまう。もし大谷さんが日本で納税できるなら、日本中の地方自治体が喜ぶだろう。本人は節税より納税で喜びそうだから。

真面目に働く国民はふるさと納税の返礼品や年末調整の還付金などでひと時の楽しみを味わうだけなのだが、政治資金パーティーの裏金問題にはあきれてしまった。有名大学を出たお偉い先生方が、子供みたいな方法で所得を裏金に変えている。これでいけると思うところが情けない。表面に出ないお金だから、まず良いことには使ってないはずである。この騒動で棚からぼた餅が落ちてきた議員さんも「突然のことで思いもよらず高揚感はありません」など本当はうれしくてたまらぬくせにコメントが情けない。大谷さんのように「皆が同じ方向を向き、国民が幸せになるため精一杯努力します」位言ってほしいものだ。

 

野菜の展示台を作る

以前から娘夫婦が自家焙煎珈琲のお店を計画しているのだが、やっと来年1月には開業できそうである。店舗では珈琲やちょっとした焼き菓子に加え、無農薬自家野菜の販売も予定してる。そんな訳で、店舗の傍らにおける展示台を作ることにした。 

 

さしあたり珈琲のついでに、野菜を買ってもらう程度でのスタートだから、空いてるスペースに台が置ければいい。

店舗内では設置場所が限られているので、先に野菜のトレイを4個ほど作ってみた。そのあと店舗のスペースに合わせ、トレイを乗せる台を作った。形が昔小学校にあった「号令台」みたいになってしまった。

実際には隣の畑で栽培しているものを展示するので多くのスペースは必要としない。とれたてを望む人は、畑に行ってそのまま収穫して持って帰ってもいいのだ。

無農薬で作っても販売するときには無農薬の表記ができない。食品表示について、農林省からおしかりを受けるのだ。例えば種子の段階で消毒していたら出来た商品も完全無農薬とは言い切れないので、栽培期間のいつからいつまでを無農薬ですという表示の仕方になるらしい。逆に怪しげで面倒である。まあ農薬も、決められた使い方であれば安全性に問題はないと思うけど、栽培主任の嫁が無農薬にこだわるので、手間がかかっても農薬を使うわけにはいかないのだ。

知り合いからスマホのPR用展示台を頂いた。店の看板にいいかと思ったのだが、ちょっと大きすぎるので、これもリメイクして野菜の展示に利用することにした。

 

新たに2個のトレイを作り、鉄パイプと木材で補強した。後で、野菜直売所の「つちの幸」のロゴを作り、上からぶら下げる。見た目は今一つだが、下にゴロゴロがついているので、どこにでも置くことができる。

 

また一つ年を取る

ちょっと前に一気に寒くなった。必死に巣ごもりしていたスズメバチもついに力尽きたようで、一匹も巣からでなくなった。ここ数年は11月中旬頃に薪ストーブが登場していたが、1か月以上遅れてやっと出番が来た。

本来ストーブの事を考えると、少しづつ温度が上がるように燃やさなければならないのだが、もう待てぬとばかり、ストーブも張り切っていて、いつもより派手に燃えている。今年は3年ほど前に切った十分乾いた樫木の薪があるので、スギやヒノキに比べ、倍ほどの長い時間メラメラと燃えてくれる。

ここ何日かの寒さで阿蘇の山々も雪が積もっており、やっと正しい日本の年の瀬が来たようだ。

正月が近づくと家の周りの片づけや墓掃除など、年末にやることを一つずつつぶしていく。毎年来年からは餅は買うことにしようと嫁と誓い合うのだが、暮れになると餅つきが予定に入っている。今年は事もあろうか、早めにもち米を注文してそれを忘れた嫁は同じ量のもち米を他の店から買って帰ってきた。やっぱり餅をつかないと年が明けないのだ。

最初に神棚に飾るお鏡さんを作り、そのあと餡入り餅や雑煮にいれたりする餅を作る。今回わかったことは、自分は餅を丸く整えられないことだ。何度やってもうまくできない。そのうち納豆や砂糖をつけて食ったりと自分の腹が重ね餅のようになってしまった。102歳になるばあさんにも小さく切って注意して食べさせた。のどに閊えるどころかペロリと食べてしまった。餅つきも1日がかりで疲れてしまい、来年からは餅は買うことにしようと今年も嫁と誓い合った。

歳を取ると、時間の流れが速く感じられ、その年何があったか思い出せない位に時が早く過ぎていく。「歳月人を待たず」というように、そのうちそのうちと思っていても、目的が果たせなく年を越すことが多い。幸い正月を迎えると一度リセットしたような気持になり、ようし今年は早くから・・・と思うのだが、気付けばあれよあれよと日付が替り、時すでにお寿司となってしまう。それでも何とか平和に正月を迎えられることは、誠にありがたいものだ。ウクライナパレスチナ、その他多くの国で飢餓と寒さに震え銃を構えている。今は、国と国との争いは、力での抑止に変わりつつあるのでこの先まともな国のリーダーが出てこないと大変な方向へ向かうことになる。

そんなことを少しばかり気にしながらも、来年こそはあれとこれとそれを実現するのだと強く思うのである。

 

明日に架けるハチ(Bridge over Troubled Water)完成

虚血性大腸炎

そろそろ忘年会がやってくる。勤めていた時は年末の忙しさと断れない飲み会の多さでさすがに胃腸も悲鳴を上げていたが、最近は食べすぎない限り胃腸の問題はとくに無かった。ところが、2週間ほど前から左のお腹に時々違和感があり、1日数回筋肉痛のような痛みが出てきた。昨年心筋梗塞の発見に後れを取ったので、あまり行きたくないが早めに病院に出かけた。

予約なしで随分待たされたが、まだ若い先生で血液検査後、CTを撮って、下腹の大腸付近をもみもみしていたが「大した事は無いようで、1週間もすれば治るでしょう」と言われ整腸剤をくれた。一安心し、そそくさと家に帰ったところすぐに先程の先生から電話があった。何事かと緊張した面持ちで電話に出たら、他の先生とCT画像見たところ「虚血性の大腸炎」と思われますとの報告だった。再び、しばらくすれば直るでしょうといわれた。ところが2日後2倍、3日後痛みは3倍ほどになり、これはいかんと前回受診した病院に助けを求めた。今度は年配の先生で、血液検査とCT画像を確認し下腹をもみもみして、大したこと無いように言われた。あとは内視鏡検査ですかね、しますか?と問われ「そんならやります」と言ってしまった。7年ほど前、済生会の人間ドックで大腸の検査を受けたことがあるが、検査前の腸の洗浄でほとほと疲れてしまい、2度とやるような検査ではないと心に決めていた。あれから数年経っているので、検査の前準備も少しは楽になったろうと思っていたが、甘かった。前の日の夜から数えきれないほどトイレに行き、段々とお茶色の水分にかわり、最後は高圧洗浄機みたいな勢いで出てくる。

いやー血圧測定の様に簡単なものでは無かったが、眠りこけてる間に検査は終わり、あとからの説明で、先生から「自分の腸よりきれいでした」とほめてもらった。先生の腸と比較されてもと思ったが、辛い思いを乗り越え、3日後には違和感も治まり一件落着した。

余計なお世話

我が家の隣の古い柵がついに壊れてしまった。地震前には住んでおられたのだが、建物が半壊し、住宅も撤去され現在宅地だけが残っている。それでも宅地内の草刈りや、ゆず、柿、タケノコ堀など熊本市内から頻繁に来られる。親戚でもあるので、自分が暇なとき生垣の剪定や菜園の耕運など勝手に手伝っている。

今回7m程の柵が壊れていて、有刺鉄線もぶらぶらしており、修理したくてウズウズしていた。

嫁が「やめなっせ」と言ったが、見るたびに我慢できず柚子をちぎりに来られた時、おまかせで勝手に修理する許可を得た。

錆びてはいるが、ハウスのパイプ資材と害獣避けの金網が残っているので、修理といっても材料費はかからない。

柵の片付けをしたらスッキリしたので、このままでもよさそうにみえるが、折角材料はあるので、支柱とパイプをカーブに合わせ取り付けた。

下から雑草や蔓が上がってくるので、下を上げて間に金網を貼った。見た目の錆がひどいので、パイプをシルバーのスプレーで塗装した。

高さがデコボコになったが、柵らしいものができた。余計なお世話かもしれないが、不要なときはすぐに撤去できるし、何も無いよりいいだろう。

明日に架けるハチ完成

温暖化のせいで、生態系も随分変わってきた。以前植えた沖縄のシークワーサーが今年も沢山の実を付けた。10月後半に気が付いたのだが、母屋隣の事務所屋根裏にキイロスズメバチが出入りしている。耳を澄ますとワサワサと音がする。ハチ駆除の強力スプレーで駆除は可能だが、天井裏にハチの死骸が残ってしまうので、もうしばらく用心して出ていくのを待っている。しかし、未だに多くのハチが出入りしていて一向に減る様子が無い。以前は10月末になるとほとんど姿を消していたのだが、この時期に出入りしているのは初めてである。他の生態も気づかない内にいろいろな所で変わってきている事だろう。

遅ればせながら、やっとハチミツの瓶詰作業が終わった。今年は秘密兵器を導入してハチミツの糖度を上げてみた。

密封した状態で、ハチミツの中に3日程入れてみた。

入れる前79度くらいの糖度であったが、3日経って80~81度と、思ったほどわずかな効果しかなかった。それでも今回のハチミツはすごく美味しくてここ数年では一番の出来である。

今回のハチミツラベルは「明日に架けるハチ」とした。70年代にヒットしたサイモンとガーファンクルの歌のタイトルをまねたものだ。実際は明日に架ける橋「Bridge over Troubled Water」であるが、ベトナム戦争時代反戦歌としても歌われたため、発売禁止になった事もある。ロシアとウクライナの戦争、泥沼のイスラエルパレスチナの紛争、延々と続いてるスーダンの内戦、など悲惨な現状が拡大するばかりである。早く解決することを祈り、Bridge over Troubled Waterを聞きながらハチミツをなめなめ珈琲を飲むことにしよう。

youtu.be

お借りします。

 

季節外れのバーベキュー台を作る

TSMC進出で周辺が変わる

ウクライナ問題が進展しない中、今イスラエルパレスチナが大変な状態である。多くの一般人、子供・病人が紛争により犠牲になっている。お互いの大義名分で停戦はおろかますます戦いは拡大している。それぞれの民族が人の救済のための絶対神を持ちながら、人の悪行を制止できない。人の英知もここまでだろうか?一般市民は隣人と仲良く穏やかに暮らすだけで良いのだが、悪いほう悪いほうへと進んでいる。中国も近年あやしい雰囲気になってきている。東シナ海や台湾問題などかさねて心配である。

経済の起爆剤になると大きな期待を寄せる台湾企業が、世界1の半導体製造技術を持ち隣町に進出してきた。工場の外観はほぼ完成しつつあり、これから内部装置の建設が始まる。

工場の表記はTSMCになるかと思いきや、玄関入り口には、Jasmとある。会社の出資比率は判らないが、TSMCとSONYデンソーが主な出資先で、Japan Advanced Semiconductor Manufacturing株式会社が正式名称みたいだ。

すでに関連企業が36社程周辺に出来るようで、背広を着た人たちが山の中を歩き回り土地を探している。働く人についても不足する事が予測され、関連会社も含め多くの人材が必要になる。面白そうな会社であれば雇ってくれるなら務めてもいいが、自分の体がすでに半導体みたいになっているので邪魔にしかならないだろう。今から交通インフラの整備も急ピッチで行われる。

 

甘藷の収穫

東北や北海道ではクマの被害が多発している。今まではヒトをやや恐れていたように思うが人をわざわざ襲うようになってきた。どうせならパンダみたいにおとなしくササや竹が主食であれば、そんなに警戒する事もないだろうが、これからは、クマ撃退用の道具を携帯し、時には反撃し難を逃れる術を会得しなければならなくなる。

こちらでは、今年イノシシさんに随分いじめられたが、荒らされた甘藷畑の収穫を行った。

案の定、ツルや葉っぱはそこそこ茂っているが、ほとんど根が入っておらず去年の1~2割程の収量であった。

イノシシからの難を逃れなんとか根が入っていても、形や品質がわるく、信楽焼のタヌキの置物に付いているようなものばかりで、人様に差し上げるような上品なものは皆無であった。まあ今年の出来は仕方が無いので、イノシシ被害で学習した経験を活かし、来年は早くから対策を練る事にしよう。

 

家賃を頂く

本来10月中旬頃ハチミツ回収の予定だったが、いろいろとあって11月にずれ込んでしまった。早すぎても糖度が低く発酵したりするので、遅い分少しだけ採蜜すれば冬に備えて蜂さんにとってもいいだろう。

4段ある巣箱の一番上をワイヤーで切り取り家賃として頂く。1号棟はきれいなハチミツが詰まっており、糖度78~80度でこのまま瓶詰め出来るほどだ。我が巣を守りたいハチさんには悪いが、この後ブロワーで巣の近くまでハチを吹き飛ばす。

この調子で2号棟を回収したらタラバガニの甲羅みたいに軽い。肝心の蜜の量が少ないのだ。よくみると蜜の貯蔵施設の蓋は殆ど閉まっておらず、空っぽの所もある。冬に備えて貯蜜する蜜をキリギリスみたいに早めに舐めてしまったのだろうか?

同じ巣箱でも、働きバチの実績は4~5倍は違う。民間の会社であればハチミツの工場長は寒い所へ左遷されるところだ。蜜の少ない原因はよくわからないが、これ以上この巣から取ると冬場の食料が心配なので、次の3号棟の業績を見る。

なんときれいに蓄えられている。ハチだけに8列の巣で出来ている。ここにはハチの匠の神がいた。糖度も78~80位ある。

夏場の暑い時期にしっかりと羽根で空気を送り、糖度を上げたハチミツの貯蔵室は隙間が無い程、蜜蝋で蓋がされている。いい仕事をしてます。アッパレを上げて下さい。

最後の4号棟は最初から期待してなかったが、やはりタラバガニのカニミソ状態で蜜の量も少なく品質も良くなかった。

この後時間をかけてハチミツが巣から流れ落ちるのを待ってハチミツを回収する。今年はもう少し糖度を上げてから瓶詰の予定である。完成までもう少し時間が掛かりそうだ。

バーベキュー台を作る

毎年夏になれば孫たちが集まるので、野外でバーベキューを楽しんでた。丁度手ごろなパレットが余っていたので、シーズン前に作っておこうと計画していたのだが、ピザ料理に変更になりバーベキュー台は作りかけのままだった。

どうも作りかけではいつまでも帳面が消えないので、今年は使う事もないが完成させておく事にした。

ドラム缶半分位のバーベキューコンロを台の真ん中における用にするだけだから大した作業では無い。とりあえずパレットを分解して足や耐熱部分の部材をそろえる。

コンロが触れる横の部分と中の枠の所に鉄板を入れる。台の大きさは115㎝の正方形である。

上からコンロを乗せるだけで、10人位は利用できる。丁度中に収まったので、コンロの乗せる部分の補強と、周りを塗装すれば完成である。これで来年はいつでも出勤できる。

このまま置いておいても邪魔になるだけだから、上からコンパネでビス止めした。作業台も今の所間に合っているが、普段は予備の作業台として使う事にしよう。

これで長い事待たせた倉庫の壁張替工事に移る事ができる。

 

毎日の戦争のニュースはつらいものばかりだが、現状では平和へ向かう事を願うだけしか自分達にはできない。とりあえず停戦だけでも早期実現を。

エミュー園の近くで地鶏を食う

珈琲移動販売車を作る

我が家の自家焙煎珈琲の販売先の一つである農産物直売所の「きくちのまんま菊陽店」で19年誕生祭が行われた。今回初めて出店依頼があり、どんな感じかよくわからなかったが、試飲してもらって、商品を販売できる様、珈琲と機材の準備が必要になった。テーブルはお店で用意するとの事だったが、何か作らないと気が済まない僕は販売用の移動型テーブルを作る事にした。

 

以前から移動作業台として使っているリアカーがあるので、これを展示台に改造すれば短期間で出来てしまう。嫁はやめてくれと言ったが、イベントが終われば又すぐ元に戻せるので、身ぐるみ剥いで改造に取り掛かる。

中の枠は孫が生まれたときにお昼寝用ベッドとして以前に作ったもので、寸法はリアカーサイズにぴったり合うようになっている。あまり使った記憶は無いが、どうせもう使えないので、この際これを再利用する。

上から蓋をするように、檜のフローリング材で天板を作る。ほぼ骨組みが完成したので、隙間を板材でふさいで塗装を施す。

タイヤをキレイキレイにして、いざ出陣。

当日は天気に恵まれ、野菜や加工品の販売に加え、肉や米なども特価販売された。PRチラシも事前に配布されたようで、お客さんも結構多かった。

我が家の場所は、婦人部のぜんざいとモリンガ茶の販売ブースの間だった。モリンガ茶のブースでは、若い嫁さんがホットパンツで元気に呼び込みをされていた。我が家の嫁があと50年程若ければパンツが見えそうな短いスカートをはいて声掛けするのだが、なんせ我々はシャイなので、蚊の鳴くような声でしか呼び込みでがきない。ここは婿さんに任せるしかない。

イベントは午前中で終了したが、そこそこの売り上げと、お客さんと対面でコーヒーの宣伝ができた。店長から来年は20周年だからぜひ参加して下さいとの事だった。

 

刈払い機の修理

愛機のホンダ刈払い機の調子が悪い。パワーを上げるとエンジン本体がブレだして、まるで両手にハンドマッサージ機を握ったようになる。まだそんなに古くはないので、なんとか修理せねばと思い、原因を調べることにした。

まず、エンジンだけにして動かしてみる。やっぱり回転を上げるとぶれだすので、エンジン内部のベアリングかと思い、分解してみることにした。分解は大好物なので、そこまでしなくてもと言う位バラしてしまった。

本体は小さくても確かなOHCエンジンでかわいいピストンもついている。エンジン内部は極めてキレイで、結局エンジン側のベアリングに異状なく、クラッチケースの方に大きなガタがあった。この機種はプロ用で、ホームセンター用よりも1万円位値段が高い。その代わり振動防止の部品が入っており、長時間疲れにくい設計になっている。

振動を防止するはずの機構が逆に振動を助長して10分も使うと手がパーキンソンのようになってしまう。たぶん不揃いで長めのナイロンロープで長時間雑草を切ったためであろう。ホンダのカタログをみると、ナイロンロープ用の機種はクラッチケース周りが金属でできており、バーの大きさも少しだけ大きい。いろいろと勉強にはなったが、とりあえず使えるようにしなければ、草を刈る度に嫁に頭を下げ「あなたの専用機を使わせて頂きます」とお断わりしなければならなくなる。それでもエンジンは取り返しのつかない状態になっておるので、以前使っていたキャブレターの調子が悪い刈払い機が遊んでいるので、後家合わせで組み立てることにした。

余分な手間だったが、一応問題なく使えるようになった。今度買うときはシャフトの軸受けが金属でできている機種を買う事にしよう。

 

地鶏のご褒美

2回目の心臓カテーテルが無事終わり、次回の点検は半年後となった。機械はエンジンを載せ替えればまた最高のポテンシャルを手にすることができるが、人の場合は自己再生と病院の手助けで、健康状態を頑張って維持するしかない。治療前日に、術後のご褒美に美味しい地鶏の店に連れて行ってくれると子供達と約束していた。

菊池の「竜門ダム」の近くにある「森の味処なかむら」という人気のお店らしい。地鶏屋さんと言えば、山鹿の鹿北にあるお店が有名で、以前菊鹿ワイナリーに行った時、ついでに食べに行ったのだが、あいにくのお休みで仕方なく近くの地鶏屋さんに入った。ところが、これがハズレの店で、ワニの肉を食ってるようで半分くらい食べて店を出てしまった。その時のトラウマもあったが、「地鶏のなかむら」は以前テレビでも紹介されていたのでそこそこ期待して出かけた。

エミューが出そうな山の中

我が家から40分ほどの距離だが、結構山の中である。近くに「エミュー観光牧場」があり、何年か前エミューが逃げ出し「捕まえるのに何日も大事した」というニュースを思い出した。多分このあたりの草むらにエミューは潜んでいたのだろう。

噂に違わず、駐車場は満杯で入り口には「本日予約で満席です」の看板があった。丁度雨が降っていたがそれなりの雰囲気があり、紅葉時もなかなか良さそうである。

中に入り一瞬メガネが曇ったと思ったら、煙が充満していた。なんと換気扇らしいものが見当たらず、屋根の天井サイドから自然に抜けるだけである。お客さんは早く食おうと炭火でバリバリ焼くので、天井付近はスモークがかっている。吐ききれない煙と匂いはお客様のお土産となってしまう。

地鶏となめこ汁のセットを注文した。さすがに肉が柔らかく味も良い。昔子供のころ我が家に居た地鶏は顎がだるくなるほど咬んでいたが、その日の朝に調理するのだろう不思議な位柔らかった。ただ、地鶏の追加メニューが無かったのは残念であった。

お腹も少し余裕があり、帰りに安くて美味しい「ReyMo」というパン屋さんに立ち寄った。おすすめの林檎と紅茶のパンを買い、サービスでもらった珈琲を階段で滑ってひっくり返し、皆から「なんばしよっと」と言われてしまった。済生会退院のご褒美の「地鶏とパンコース」はこれにて終了した。

 

平凡な毎日こそ幸せなのだ

そろそろ家賃を下さい

未だに日中は暑く秋の気配すら感じられない。今年は柿が不作で庭の柿の木は寂しいものである。いつもなら熟した柿を狙ってスズメバチがやってくるのだが、今年は静かでいい。近くに日本ミツバチの巣箱が有るので、毎年今の時期は虫網とバトミントンのラケットでミツバチを誘拐するスズメバチを遠くへ飛ばさなければならぬのだ。

今攻めて来ているのはキイロスズメバチで、この蜂はホバリングしながらミツバチを掴まえるという効率の悪い狩り方である。巣箱の入り口に金網でガードしておけば犠牲になるミツバチはわずかなものである。今年は外敵も少なく、ミツバチの皆さんもストレスが少なく元気に暮らしていらっしゃるから、そろそろ家賃を請求しなければならない。

庭の柿はダメだったが、畑の脇に植えていたナシが数個大きくなった。

品種は定かでないが、そこそこ大きく見た目も美味しそうだったので、一つかじってみたら歯が折れそうになった。カラスに食われる前にと思ったのだが少し早かったみたいだ。

甘藷畑でイノシシとのバトルがしばらく続いたが、ついにイノシシのほうが白旗を上げた。

電気牧柵を設置した後は畑の中に浸入した形跡は無く、電気柵から数メートル離れた所に足跡があり、すぐ下の畑で右往左往している。

結構大きめのイノシシみたいで「いやーまいったなー隣の甘藷畑は電気ビリビリで長靴でも履かなければ感電してしまう」「ナフコにシシ用ゴム長売ってあるかな?4足いるなーブヒブヒ」「仕方がない山に帰ってイベリコ豚君みたいにどんぐりでも食べようブヒブヒ」

テーブルを作る

風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがあるが、寝室のテレビが故障した為、他の部屋のテレビとの入れ替えをした結果、今置いてるテーブルの幅がじゃまになった。つまり巡り巡って、代わりのテーブルを作る事になった。新しく買えばいいのだが、また巡り巡って違ったテーブルを買うのも大変だから、冷蔵庫の食材の残りでおかずをつくるように、板材の残りで小ぶりのテーブルを作る事にした。

以前作ったテーブルが3台ほどあるのだが、普段使いは小さいほうが何かと邪魔にならない。今回のテーブルサイズは90cm×40cmで、コーヒーとアイスクリームそれにテレビのリモコンと足が乗せられれば十分である。

部材を切り出しサンダーで表面を削る。不燃物に出そうと思っていた古いテレビ台のガラス板が2枚あったので、ついでに使う事にした。

所々金釘の跡があるがダボで隠すのも面倒だからそのまま使ってしまう。ガラス板のサイズが小さいので、天板の足りない部分は、板材とのハイブリッドだ。

周りを水性ニスで塗装して出来上がり。インダストリアル風の0円テーブルの完成です。

2回目の心臓カテーテル

去年の12月心筋梗塞が見つかり、とても怖い思いして冠動脈にステントを入れた。あれから8か月経過し、治療後の心臓の状況について検査にいった。車であれば半年点検か1年点検など区切りが解りやすいのだが、なぜか8か月後の点検である。とにかくこの検査結果で、今後の活動目安が判るので、良い返事を期待しながら済生会病院へ出かけた。

主治医の先生は40歳前後の女医さんで、セーラー服のダンスユニット新しい学校のリーダーズ」のヴォーカルみたいな感じの人である。首を振って踊ったりはしないが、質問は端的にしなければならず、多くの質問には答えてくれない。その先生に、心エコーの画像を見ながら「うーーん、もうちょっと検査を増やしましょう来週来て下さい」といわれた。言われた通り翌週いくつかの違った検査をうけたら、どうも2回目のカテーテルが必要らしい。

結局次の週に2泊3日で済生会へ治療入院となった。

前日、治療方法の説明が別の先生からあった。2回目なのでおおよその流れは判っている。しかし、説明された先生がまだ若くまじめな方で「可能性は低いけどこういう事もあります」とエクモの話まで登場した。ただでさえビビッているのに、聞いてるだけで治療前からハアハアと息遣いが荒くなってしまった。前回足の付け根からカテーテルを入れたので、今回はできれば手首からお願いしますと小さな声で要望だけはしておいた。

翌日あのグワングワンと音がするロボットやモニターいっぱいの手術室でカテーテル治療を行った。今回は前回入れたステントの先を何種類かのワイヤーみたいなものを入れて治療した。前回こんな思いは2度としたくないと思ったが、2回目になると心なしか慣れたような気がして、怖さより尿をこらえる事に必死にだった。1時間30分程で無事終了し、スムーズに流れる血流も画像で確認できた。手術室の先生方に深々と頭を下げ、病室に帰った。やっと安眠できる。

ここしばらくは近い間隔で、検査に行かなければならないが、病院まで1時間以上かかるし、検査次第では運転手まで必要になる。大きな病院は年に1度の人間ドック位だったのが、病院通いが一つの予定として入ってしまった。同じ飲み仲間の話を聞くとそれぞれ至る所の病院に通っている。老いるとはこういう事なのか。珍しく元気にしている者は「オレは頭が悪いだけだ」と言っていた。

こんな目に合うと派手な事はどうでもよくなり「平凡な毎日こそ幸せ」と思えるようになってくる。今年は畑の草刈りに嫁や娘婿さんに随分世話になった。早く愛用のホンダ草刈り機をブンブン言わせたいものだ。