もう日が暮れたよ山頭館

気が付けば色々なものを作り自分で適当に満足してきた。これからも隙をみてはモノを作る。これはモノ好きの記録なのだ。

また一つ年をとる

やまぬ地震

今年もいろいろなことがあった。自然災害の脅威は相変わらずで、青森県でも大きな地震が発生した。現在少しは落ち着いているようだが、東北地震の大災害を思うと、しばらくは用心が必要になる。

先月熊本の阿蘇でも震度5強の地震が発生した。2016年の大地震以来の大きさで、我が家は震度4くらいだったが、久しぶりにヤバイと思いスマホと懐中電灯を持って外へでた。最近は、地震も穏やかだったが、やはり油断できないと翌日改めて備蓄品の点検を行った。災害は、自分で身を守る事と時の運がすべてだ。とにかく生き抜かなければ後が無い。生きてさえいればなんとかなるものだ。

 かれこれ50年以上飽きもせず続いているアホ仲間の飲み会で、熊本地震の話になった。仲間の一人が地震後の書類提出で大変恥ずかしい思いをしたとのことで、話を聞いて大笑いをした。

彼は、自宅が半壊となり、急いで役場に罹災証明を申請しに行った。職員が聞き取り記入をしていた時、「住宅の名義は誰のですか」と問われ「ちちのものです」と答えた。役場職員は書類の欄を指さし「それではここに父と書いてください」と言った。当時彼は60過ぎ位だったからボケてるはずはないのだが「父」の漢字がどうしても思い出せなかったそうだ。すぐ後ろに人がいっぱい並んでいるし、ひらがなでしたためるわけにはいかず、仕方無く顔を真っ赤にしながら役場職員に「ちち」の漢字はどうだったか聞いたそうである。一瞬周りが静まり返った気配を感じ、穴があったらすぐにでも中深く入りたかったそうである。それにしても父という漢字は、〇や△と変わらない位記号に近い簡単な文字と思うが、「ちち」を聞くたびにその話を思い出し笑ってしまう。

 

人気の高市総理

 就任からわずかな期間に、内政、外交と活躍をみせ、失礼ながら予想に反しての仕事ぶりである。中国問題も世論は支持しているので、鬼の首を取ったかのように攻める野党も返り討ちにあっている。言論の自由がない国家主義の国のありさまを、いまさらではあるが認識し、日本人であって良かったと思う人が増えた事だろう。

それにしても、昔から国の争いや領土の奪い合いは絶えずして起こり、人の人智は少しも進歩していない。最近AIが画期的な進歩を見せているが、ロシアとウクライナの戦争をやめる方法をAIに聞いても「この質問には答えられません」と回答する。結局進歩のない人間が考えた機械なので、考えた国の都合の良い回答をする。将来AIが学習し修行を重ね、悟りを開き真理の回答で平和に貢献できればいいのだが.....。

 とにかく、年々この世は問題、課題は増えるばかりで、高市総理がどこまでやれるかわからないが、高市総理は自分と誕生日が一緒で親近感があるので、この先も元気で頑張って欲しい。

 

そうだ焼芋屋さんを作ろう

 大津町の桜山で営業しているコーヒー店もそこそこお客さんが来てくれるようになった。今はバイトさんも手伝ってくれるので、ジジイの出番も少なくなった。

店舗内では嫁の野菜や甘藷なども販売してはいるが、毎年甘藷が貯蔵庫に残り腐れてしまう。嫁と相談し、冬の休日だけ焼芋を売って一儲けしようと話がまとまった。

以前使っていた古い薪ストーブがあるので、改造して焼き芋機を作ろうと思っていたのだが、急がば回るなで石焼き芋の機械を奈良からネットで取り寄せた。

この機械は、ガスコンロで下から石を焼いて箱の中の芋を焼き上げるシステムで、一度に12〜13個の芋が1時間ほどで焼きあがる。

シロウトでもほぼ失敗は無く、口の中を火傷するような熱々の甘いお芋が焼けてしまう。

これで、芋を焼くほうは何とかなりそうなので、珈琲店の片隅に置けるような移動式の屋台的なものを作ることにした。実際、店のマスターと詳しい打合せはやってないので、トータル的に店の売り上げアップにつながるような事でなければならないから、まず運用に向け経費を抑えるため、DIYを駆使して本体を作る事にした。

本来、日本昔話の蕎麦屋みたいな作りが石焼き芋には似合っているのだが、お店がブルックリンスタイルなので、ややアメリカン屋台的なデザインにした。

本体が結構重いので、友達からもらったノーパンクタイヤで車体を作った。その気になれば軽トラで引くこともできる。

寸法は1m×1.5mで本体の中に機械と一人が座れる。現在スケルトンで、ここまでしかできてないが、完成品は、車体、本体、屋根と3分割できるようにする。2人いれば、バラして軽トラに載せ、遠くへの移動も可能になる予定だ。とにかく、思い付きで作り進めているので、いつできるかわからないが、1月中には完成し、少し位は販売してみたい。

 

久しぶりの蕎麦打ち

年末は、地区の神社に飾るしめ縄づくりがある。いつも農家の方が主体でつくっているが、人手不足と高齢化でしめ縄づくりの協力依頼がきた。今日が30日で明日の31日に飾る予定である。

2~3mのしめ縄を3本作るのだが、3人がかりで縄を絞りながら作っていくので相当な握力がいる。技術はあっても力はそうはいかぬので、若い人の参加がなければこういった行事も自然と無くなっていくだろう。

明日はいよいよ大晦日で蕎麦を食い、また一つ年を取る。

近くの農家さんが、「蕎麦を打ってみて」とそば粉を持ってきた。彼は結構な面積を栽培していて、昔は皆で公民館に集まり、そば打ちの先生を招き年越しそばを打っていた。

その時、麺棒やのし台などそろえた記憶がある。面切包丁も危うく買うところだったが、蕎麦熱も冷めてもう15年ほど蕎麦をこねたことが無い。ただ折角頂いたので、昔を思い出し二八で蕎麦を打つことにした。どこまでできるかわからないが、無理してでも作り上げ、まずくても食って年を越すのだ。