もう日が暮れたよ山頭館

気が付けば色々なものを作り自分で適当に満足してきた。これからも隙をみてはモノを作る。これはモノ好きの記録なのだ。

真夜中の戦い

至福のルーティン

猛暑と豪雨が入れ替わりやってきて農家にとっては大変な時期である。土手や畑の中など、雑草にとっては伸び放題の最高の季節である。今年から、農作業に関しては嫁の奴隷になりつつあるので、雑草の撲滅運動に毎日必死で頑張らなければならない。

ほおっておけば、野菜と雑草の区別がつかなくなり、後で何倍も手間が掛かってしまうので、毎日少しずつでも草と格闘しなければならない。

自分は孫の送迎担当を任じられているので、朝から保育園に送り届てそれからの草刈り作業となる。当然お日様も顔を出していて、すでに気温は高くなっている。水分を十分補給して、嫁と二人で1時間30分程度を目安に刈払い機で余計な雑草をなぎ倒す。畑の近くを通り過ぎる農家さんは、少し笑い気味である「毎年同じ光景をみるが、多分除草剤の使い方がわからないのだろう プッ」

1回分の刈払いが終わるとお互いの顔は、孫の好きなドラッグモリのリンゴの顔みたいに赤くなる。車の中でエアコンを効かせてしばし休憩する。嫁は居残りで野菜の収穫をしたりするが、最近体力が衰えた私は、すたこらサッサと逃げ帰る。

すぐさま部屋のクーラーを入れ、ひとシャワー浴び、我が家の珈琲でアイスコーヒーを作る。最近テレビのお供であるキャラメルポップコーンをつまみながら、あらかじめ録画していた大谷さん出場のエンゼルスの試合を観戦する。ちびりちびりと早送りしながら頭から冷気を浴び、スルメイカみたいになって至福の時間を過ごす。オオタニさんは、ほぼ毎日出場しているので、このルーティンがあれば朝の草刈りもなんくるないサー。

新聞ストッカー「たまるんです」をつくる

ロシアの戦争が至る所に影響を与えている。何年もかけて複雑に流通バランスをとってきたグローバル経済も、戦いを止めない悪い人間により、歯車が狂い至る所にモノ不足が生じている。7月には完成予定だった子供の新築も、そのせいなのかずるずると伸びている。

どれどれと、建築状況を見に行ったら思わぬお宝を発見した。木材を加工した残りや、板材が処分場行のコンテナに山の如くあるではないか。

どうせ捨てるものなので、ミツバチの巣箱を作ったり、他にも利用価値は有りそうなので、使えそうな板材を掘り出し軽トラ1台程持ち帰った。これで、何か思いついたらしばらくは泣かずに遊ぶことができる。

地区の行事で年に2回程廃品回収がある。定番の古新聞はその時に出すのだが、ほぼ毎日配達されるので、いつの間にか貯まってしまう。置き場さえ邪魔になる程だ。自分の貯金もいつの間にか貯まり、置き場がなくて邪魔になれば大変うれしいのだが、これについては貯まるどころか、いつの間にか目減りしている。

廃品回収で出す新聞は、レジ袋に入れたり、ビニールひもでくくったりするが、業者に出す前に取り除かなければならない。そこそこ面倒な作業である。そんなわけで、持ってきた廃材で新聞ストッカーを作り、これを新聞で作った紙紐でくくって出すようにすれば、回収スタッフは泣いて喜ぶに違いない。

材料はたいして必要ない。四隅の板材と、底板に紐を通すための厚めの板で空間を作る。

新聞よりやや大きめのサイズで寸法も適当に作った。強度的に弱そうなので、上部にアルミ材の補強を入れた。

それらしく塗装をして新聞ストッカー「Tamarundess」が完成した。

早速新聞を出荷状態に包装してみた。

ちょっと美しさに欠けるがこんなもんでこらえてもらおう。結ぶ新聞の帯に強度が不足気味ではあるが、今後の改良点とする。これで新聞がたまるのが楽しみになってきた。

真夜中の決闘

我が家は道路から少し離れているので、夜は静かなものである。婆さん(母)が、トイレに行くのでその時のドアの音がするくらいだ。夜中の2時ごろ、何やらドスンと低い音がしたからと家族のものが起きてきた。101歳になる母親の部屋付近だったので、あわてて見に行くとトイレの入り口に斜めに座り込んだ婆さんと、何故かしゃもじが転がっていた。婆さんは、自分で立ち上がれそうにないので嫁と二人がかりでベッドに運んだ。話を聞くとムカデが出たそうで、無視すればいいものを、とっさに近くにあった「しゃもじ」で応戦したらしい。今の時期この気持ち悪い百足達は何処からともなく進入して来る。特に湿気の多い時期には遠慮を知らない。ともあれ近くに弱った百足も発見したので息の根は止めたが、婆さんも痛手を負った。歳が歳なので、腰回りの圧迫骨折も考えられる。

あまり痛がる様子では無かったのだが、翌朝病院で検査をしたら、座骨に少しヒビが入ってるとの事だった。痛みが取れるまで、3週間から1ヶ月の入院となった。つい3か月前にしりもちをついて1ヶ月程入院したばかりだったので、相当注意はしていたのだが、まさか百足にやられるとは思わなかった。入院もコロナ予防で面会ができないので、認知症が入らない様家族写真や手紙を届けるくらいしか見舞いができない。退院しても今はコロナが猛威を振るっている。なんとも住みにくい世の中になってしまった。

安部さんが凶弾に倒れる

ショッキングなニュースが流れた。この日本でまさかこのような事があるなんて?と国民ならずとも警護のSPでさえも思っていただろう。ロシアのウクライナ侵攻以来、世界の国が混とんとしている中、唯一各国要人と話ができる日本人のように思っていたが、残念な事である。

葬儀での安部夫人の挨拶の中で「本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」とあった。今から出来る事や、夫婦でやれる好きな事がいっぱいあっただろうに、かわいそうな事だ。